Overview
この稿では、西洋と東洋。ふたつを「OS」として比べながら、
いま、どちらの声に耳を澄ますべきかを探ってみる。
2025年。
世界は静かに、確実に
ロシアとウクライナ。
次にどこで、新たな火種が燃え上がってもおかしくない。
もう誰も驚かない。麻痺も始まっている。
共通するのは、
“正しさ”は、立場によるもの。
国が争うのか?
確かに一神教の思想は強い。
科学、政治、経済
私は思う。
この西洋思想的OSは、バグってるんじゃないか、と。
じゃあ、東洋思想はどうか?
常に沈黙していて、あいまいで、わかりにくい。
そんな世界の見方が、たしかにある。
だが、静かに振り返ると、
自分の中に、東洋的な何かが眠っている。
この稿では、西洋と東洋。
ふたつを「OS」として比べながら、
いま、どちらの声に耳を澄ますべきかを探ってみる。
それが正しい、と信じてきた。
自然は、整えるもの。
いや、もっと正確に言えば「管理する対象」だ。
光も風も、使えるものとして調整される。
だが、東洋の思想は違う。
自然は、制圧し管理する相手じゃない。
自分の一部だ。
風が吹き、雨が落ち、光が差す。
それに逆らわず、身を預ける。 そういう佇まいだ。
日本の建築には、それがある。
隣家と隔てるのは植木。
縁側は、家の中であり外でもある。
外と中の空間が緩やかにつながり曖昧だ。
古民家は言うに及ばず、
谷口吉生の東京国立博物館 法隆寺宝物館、
妹島和世のすみだ北斎美術館。
谷口は、建築物に多くを語らせず、
妹島は、建築物に周囲の景色を写し込む。
東京という都市は、上から見れば西洋的だ。
人間の都合で整地されなかった
「何か」が、まだ残ってる。
自然を他者と見るか、仲間と見るか。
その違いは、数字では測れない。 体でわかるものだ。
目的もなく街を歩く時、
それだけのことかもしれない。
そんな空気が、世の中を支配して久しい。
会議でも、授業でも、言葉が強い。
何のために、なぜやるのか。それを言え、と迫られる。
だが、そんなもので本当に“わかった”ことになるのか。
知る、分かるというのは、もっと厄介なものだ。
東洋の考え方は、それを知っている。
頭じゃない。体で覚えるんだ。
それが「守」。
理屈じゃない。
身体に沁みて初めて、知識が“知”になる。
そして、もうひとつ。
禅の「不立文字」。
言葉じゃ伝わらない、という思想だ。
真理は、沈黙の中にこそある。
語らずに、ただそこに“在る”。
禅の坊さんたちは、それを体験として叩き込んできた。
考えるな、坐れ。
言うな、感じろ。
私たちは、学校や仕事で“説明する技術”ばかり磨かされてきた。
だが、心のどこかでは知っている。
「あなたはどう思うか」が、
西洋の考え方では、
ひとりの人格で、筋が通っていて、
それが“成人”だと教えられてきた。
社会は契約でできていて、
だが、東洋の考えは違う。
人は、関係の中に生きる。
立場が変われば、自分も変わる。
母である私、部下である私、
友の前では少し違う顔。 どれも“本物”だ。
「分人」そう呼んだ作家もいたが、
そんな考え方は、ずっと昔から東洋にあった。
仏教の縁起、儒教の仁、道教の自然。
どれも、“人は関係性のなかで変化する”ってことを前提にしている。
東洋の人間は、語る前に踏みとどまる。
空気を読んで、言葉より態度で調整することもある。
それは、卑屈でも、逃げでもない。
他者と調和するという、もうひとつの強さだ。
もし自分を出すことに疲れているなら、
それが、東洋的な自己観というものだ。
なぜ、それをやるのか。
世の中は、その説明を求める。
理由を語れ。数字で示せ。
目標と手段が合っていれば、 そ
れで正しい──そういう論理で動いている。
ビジネスの世界では、KPIやらROIやらが飛び交う。
“目的のためなら、この手段”と、 フレームワークで割り切っていく。
筋は通っている。
だが、妙につまらなさもある。
東洋の感覚は、少し違う。
なぜそれをやるのかと訊かれたら、
京都の老舗の商家は、そうやって続いてきた。
何百年も守り抜いた所作には、 理由なんかいらない。
そこに、謙虚な「正しさ」がある。
論理では測れない「佇まい」。
それを感じ取る力が、 この国の中にはまだ残っている。
西洋は「語れる価値」に強い。
ロジックで動く職場で戦いながら、
そんな日常の中に、
説明できないが、どうしても捨てられないものがあるなら、
それがあるなら、 まだ大丈夫だ。
西洋の考え方では、人生は一直線だ。
だから、そのあいだに何を残すかがすべてになる。
死は、抗うもの。 技術で、医療で、なんとか先延ばしにする。
だが、東洋の思想は違う。
川の流れのように、生も死もつながっている。
茶道も、禅も、老いを整いとして受け入れる。
「死を考える」ことは、生を深くすること。
禅僧は「念死」と唱え、
死に備えることで、生き方が研ぎ澄まされる。
祖母が言った。「そろそろ潮時かねぇ」
西洋が死を遠ざけようとするなら、
私たちがいま、生きているその足元にも、
全力で打ち込んでくる相手の力を、
そんなことが、この世界で起こるのか?
常に敵をつくり、勝ち続けようとすることに未来はない。
刚は暴れ回り、
柔が最後に、全体を制する。